Nov. 11, 2003 


**最近のボクのジャズ(3)**

 ボクのジャズ感というのは、マイルスを切り口に随分変わってきた気がします。「これもジャズなの?」という風に、自分のジャズの枠を広げてくれたのがマイルスだったからです。ジャズロックの夜明け的なアルバム群は、ジャズとロックを融合したのがロックの側からばかりではなかったことを教えてもらいました。前にも書いたように、「このアレンジはプログレの有名バンドもやっていたぞ」ということも起こるワケで、結構ロックに影響を与えてきた音楽であることは確かなのです。去年辺りはマイルスの新黄金のクインテット関連のアルバムをずいぶん収集していましたね。ジョン・コルトレーンは別格なので、もちろん彼は除きます。だけど、彼のアルバムについて少しだけ言わせて下さい。

 よく、シーツ・オブ・サウンドと呼ばれる切れ目のないサックス奏者として、ジョン・コルトレーンは神格化されています。また、フリーブローの王者としてのコルトレーンという存在があり、その一方では魂の音楽の表現者としてのコルトレーンというのもありました。それぞれの時代に彼の代表作というのがあって、マイルスから分かれた直後のアトランティック盤「ジャイアント・ステップス」や「マイ・フェバリット・シングス」はシーツ・オブ・サウンド確立期の代表作だとされています。フリーブローの代表作ならインパルス時代の「ライブ・アット・ザ・ビレッジバンガード」、メディテーショナル系の最高作は「クル・セ・ママ」とされています。しかし結局の所、一般的なコルトレーンの最高作は「バラード」ではないかと思われます。これを収録した当時のコルトレーンは嵐のようなフリーブローを繰り広げていた時代なのですが、このアルバムはブランデーが似合うような落ち着いたサックスリードのバラード集です。もしも当時の先鋭的なコルトレーンを待っていたリスナーばかりだったら、そんなバラード集を出したコルトレーンは寄ってたかってののしられたのではないかと思うのです。ところが、この「バラード」こそ「ジャイアント・ステップス」等と共にコルトレーンの最高作とも言われる作品になってしまいました。本当はマウスピースの調子が悪くて、収録時にいつもの調子で吹けるような状況じゃなかったから、お茶濁し的に作られたアルバムらしいのですけど。いずれにしても、当時のジャズファンの多くは、コルトレーンに先進的な表現ばかりを望んでいたワケではなかったことがわかります。プログレのアーティストは先進性が感じられなかったり、ポップに日和ったりするとボロボロに叩かれたりするのとはちょっと違いますよね。

 話は戻って、例えばマイルスバンドのメンバーであるウェイン・ショーターつながりで、マイルスバンド加入以前のジャズ・メッセンジャーズからその当時に発表されたヴィージェイ・レーベルのソロ作、マイルスバンド加入以降の一連のブルーノートのソロ作からウェザー、後期ウェザーと平行して行っていたプロジェクトであるVSOPクインテットまで幅広く聴きました。ウェイン・ショーターは遅咲きのジャズ・ミュージシャンですが、それは彼が兵役へ行っていたという事情のためでした。実際、除隊した以降のショーターは快進撃を開始。すぐに当時のトップ・バンドの一つだったジャズ・メッセンジャーズに参加し、まもなく音楽監督に就任して上り調子のバンドは更に人気を高めます。同時にヴィージェイ・レーベルでソロ作を発表するようになり、ソロとしても評判を集めたました。その頃彼に目を付けたのがマイルスで、彼は何度もショーターにアプローチをかけたようです。むろんショーターはマイルスのバンドに加わることに強い関心はあったようですが、音楽監督だったメッセンジャーズを捨てていくことも出来ず、マイルスの誘いを断り続けていたとか……。そんなある日、メッセンジャーズのアート・ブレイキーからマイルスのバンドに加わるよう話があったらしいのです。前述の通り、マイルスは欲しいと思ったミュージシャンの引き抜きにはかなり強引な手も使ったらしく、ショーターの時もブレイキーとどんな話し合いや金銭の授受があったのかわかりません。ともかく、晴れてショーターはマイルスのバンドの一員となり、やはりバンドの音楽監督的な位置で活躍していくことになります。同じような形で先にメンバーに加わっていたハービー・ハンコックやトニー・ウィリアム、ロン・カーター等と共に、当時のジャズ界をリードしていく作品をリリースしていったワケです。

 そのショーターですが、当時のアルバムを聴いてみるとハードバップ指向だったジャズ・メッセンジャーズにあって、同バンドをモード系へのサウンド・チェンジに大きな貢献を果たしたミュージシャンだそうです。ここでモードというのをもう少し説明しておきましょう。モードとは前述の通り、コードで行われていたジャズの奏法をスケールで行うというものだったと解釈しています。コードとは和音のことですが、その中に含まれる音だけだと表現出来る音色はかなり制約的なワケです。スケールの考え方だと、それよりも多くの音が含まれますし選べる音の自由度も高いことになると……こんな風に解釈しているのですがどうでしょう?


※ボク自身も薄ボンヤリとしかイメージ出来ていないのですけど……。スケール とは、最初のコードで拡張可能な音群の全てを指すものだと解釈しています。例えばCのコードから始まる循環コードがEm、F、Gだとすると、現在演奏中のサウンドのコードはCなのにEmやFで使用可能なコードのキーを使うことも出来るということかなと……。(間違っていたらごめんなさい。)

 理屈はともかくとして、モードを使った楽曲によって表現されたジャズを新主流派と呼びます。ゲームで言うと新しいジャンルを作り出したようなもので、これはとんでもないことなのです。つまり、ファミコンにドラクエがリリースされてRPGのマーケットが生まれたようなものでした。(当時のRPGのパワーは凄かったです。当時のドラクエは正に新主流派です。)そして実際演奏される音楽のイメージはというと、例えば当時主流だったハードバップでは2管や3管をフロントに使った威勢の良いサウンドに対し、もっとメランコリックで物憂げな感じが多かったように思います。(ハードバップでは3管バトルなんて言い方をよくするのですが、確かに3管ユニゾンの迫力ある演奏はバトルと呼ぶに相応しいのかも知れません。)これは個人的な感覚ですが、ハードバップがニューヨークやラスベガスのネオンサインの恋だとすると、ハードバップは高級住宅街にポツンとたたずむ男女の密会のような感じ。またハードバップが原色の世界だとすると、モードはモノトーンの色彩感覚を想起します。ハードバップは総じて元気がいいのです。しかしモードは少し思索的なイメージがつきまといます。ハードバップはそれまでのジャズを正当進化させたものだとすると、モードはそれまでのジャズを再構築したイメージです。それとソロの中の半音の使い方にも特徴があることに気付きました。ハードパップのソロで半音ずらしたキーは余り入れませんし、入れる時はソロイストの決めのフレーズっぽい感じです。しかしモードではソロで半音を使いまくっている感じがします。だから1音落ちるところが半音しか落ちない、上がらないという展開が続くため、何だか浮遊感を感じるのです。これの典型的なのがハービー・ハンコックの「エイピリアン・アイルズ」というアルバムの4曲目で味わえるのですが、今回はウェイン・ショーターということですのでどうアルバムについては次回に譲ることにしましょう。

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