Aug. 29, 2003 


 8月になって急に暑くなっちゃいましたね。2ヶ月のご無沙汰です、高橋です。先月は気象庁の観測以降では最も日照時間が短かった7月となったそうです。この10年位、梅雨が短い上に6月から7月が最も暑くて、8月の声を聞いた頃から暑さが峠を越えるということの繰り返しが続いていて、「季節が1ヶ月ずれてきたんじゃないのかなあ」と思っていたのですけど、今年の梅雨とそれ以降の猛暑を考えると「そういうことでもなかったんだなあ」と考えさせられたりします。もしも1ヶ月ずれちゃったんなら、夏休みの期間の区分の仕方も変えなきゃいけないんじゃないかと思ってたものですからねぇ……。このままでいいなら、それに越したことはないですもんね。(なんてことを書いたのは8月初旬だったのですが、その後異常気象のために何とこの夏は観測史上最低の日照時間になってしまったとのことで、やっぱり異常気象は生きていたのでした。)




 
 最近は異常気象やら、メキシコ湾海流の活動の問題(エルニーニョとかが発生する海流ですね)やらが取りざたされていて、地球はこの先どうなってしまうんだろうと思わされることがニュースになります。しかし、地球の長い歴史の中から見ればこんなことは大したことじゃないらしいですね。昨今の地球温暖化にしても、人間たちはCO2の排出が地球温暖化につながっているということで、CO2の排出規制だ何だと騒いでいるわけですけど、地球の長い歴史の中ではもっと平均気温が上昇した時代もあったというのが研究でわかってきたという話もありますし……。(しかしこれは「だから地球温暖化はCO2のせいではないので、京都議定書決議案は無効だ」といっているアメリカの発表ですので、それは割り引いて考えなきゃいけないという……難しい世の中です。)

 地球は数え切れない多くの品種の生物が共生している星ですから、その中のわずか1種類に過ぎない人間という生物が環境を勝手に劣化させていくというのは許されないことだと思います。しかし逆に人間という生物の力は、本当に地球という惑星の存在に影響を与えるほどの力を持ち得たのでしょうか?確かに人間は、自分たちの快適な生活のために地球の環境を破壊し続けているでしょう。大気汚染や工業廃水による河川や海水の汚染、海や陸の生態系破壊等々、これらは将来の地球にどんな影響をもたらすのだろうと心配にならざるを得ません。人間は電気や原子力等のエネルギーの利用により、光で夜という環境を克服し、クーラーは夏の暑さを克服させてくれました。自動車は馬並の移動距離を人間に与えてもくれました。こうしたことは、人間が自然環境までコントロールしているかのような錯覚を与えている気がします。しかしこの7月の日照時間でも明らかなように、人間は天気さえもコントロール出来ないのが事実ですし、台風や竜巻、雷等の多大な被害を及ぼす大自然の驚異には無力であるのが現実です。

 それは例えば芸術など、感覚でものを表現する分野にもズバリ当てはまります。以前から、弊社にサウンドクリエーターを志望して応募してくる方が大勢います。ボクのところに来る前に、ほとんどは選から漏れてしまっていますので、それらの全てを知っているというわけではありませんけどね。聴いたことがあるのは、弊社のスタッフ数が少なかった弊社黎明期に聴いたほんの1部です。しかしそれでも「どうして音楽で飯を食おう(食える)と思ったのかな?」と思わざるを得ない人の作品が少なくありません。「コンピュータの進化が、楽器を弾けない人間に音楽が出来るようにさせたのは良いことだけど、それによって音楽は誰でも出来ると錯覚させてしまう時代になった」というような話を本で読んだ覚えがありますけど、こういうことだったのかというのはそういう作品を聴かされて初めて実感出来るモノです。本来音楽は楽器の訓練なしでは奏でることが出来ません。特に初期の頃には苦痛を伴うものです。その苦痛を乗り越えてこそ、音楽を演る資格も出来るのではないかと思うのです。トレーニングをする間に音楽の資質は自然とわかるものですから、「才能があるのか?無いのか?」というのはだいたい見えてきます。ダメだと自覚した者は、そこで音楽をプレイすることを断念していくのが自然の摂理だと思うのです。音楽ソフトに音符を並べていくことで音を鳴らすことは出来るでしょう。しかしそれで「飯が食える」と考えるのはどうでしょう?音楽で飯を食うというのは、想像以上に大変なことです。昔から、音楽を目指す予備軍の数は想像を絶します。その中から一握りの選ばれた者だけが、仕事として奏でることを許される職業なのですからねぇ……。ゲーム業界の事情を知らない人はわからないでしょうが、ゲーム・ミュージックはゲーム音楽専門のコンポーザーでなくてはならない音楽分野ではありません。実際、ずっと前から著名な音楽家の方たちがゲーム音楽に興味を示していてくれているのです。しかし通常の音楽のリリースと比較すれば、彼らが参加出来るタイトルは余りにも少ない。やりたいと思う方が作品の数よりも多ければ、作品に関わるために勝ち残っていかなければならないと言う過当競争の原理が当てはまってしまうわけです。そしてそれはあくまでも才能の勝負です。才能が大自然の摂理だとすれば、それはけして理論や科学で解決出来るものではありません。だから、コンピュータの技術がどこまで進んでも、それが才能の代用してくれるわけではないのです。今やゲーム音楽を作るコンポーザーの道は、一般の音楽業界で飯を食っていくのと同等に険しい道なのです。

 ボクも希に、シナリオやゲームデザインはどうやって生むのか、生まれるのかを聞かれる場合があります。ゲームのデザインはボクにとっては必然的に割り出しているものなので、才能云々ではないと思っている部分もあります。しかし、例えばゴルフやテニスゲームの場合のコンセプトが「誰でも楽しめる」ものであり、「シミュレータではないゲームらしいスポーツゲーム」で、「形式ではなく、スポーツの爽快感を再現する」ものだと言っても、それを多くのゲームクリエイターに問えば多分その答えは千差万別だと思うのです。例えば前述のコンセプトでゴルフやテニスは面白いと思ったクリエイターがいても、別のクリエイターがそれを実現したら今の形にはなっていないと断言出来ます。その千差万別の選択肢、もしくは新しいゲームの操作方法が今の形に落ち着いた理由を述べることはボクにとってもとても難しいことなのです。ロバート・フィリップが音楽について問うと「そうなるのが必然だった」とか「音楽が自分を動かした」という言い方をしますが、あの発言もボクには何だかとてもよくわかる気がするのです。

 ボクはゲームのシナリオを書いています。おかげさまで、ボクのゲームシナリオのファンの方は少なくないようです。日本のファンタジーものでは珍しく、海外のファンタジーのファンの方にも評価して頂いているらしいです。ボクのシナリオの書き方は多分独特で、テーマやシチュエーションは念入りに練り込むのですがストーリー展開は用意周到に準備しません。昔はストーリー展開まで準備した時期もあるのですが、その方法では「面白いゲームシナリオ」は書けないことが経験でわかったきたからです。面白いなあと思うシチュエーションだけ沢山用意して、それを強引にシナリオに盛り込むことで思いもしない展開が生まれるのです。それらのシチュエーションをストーリーにつなげてくれるのは、ストーリーの中のキャラクターたちなのですが、彼らが勝手に動き始めてくれたらしめたもので、こっちは彼らの思う通りに動かしてあげるだけで面白いシナリオになっていくのです。だけど、これも最初から出来たわけではありません。ある時から、その方法が自然発生してきたわけです。これってプログレッシブロックに似ているなあと思うのは、ボクの勝手な思い込みなのでしょうか?

続く→

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