Dec. 28, 2002 



その(2) 娘にそソのかされて・・・・・

「プログレの部屋をのぞいて見て」と、わが長女からの電話で、ページを立ち上げて拝見しましたら、どうやらわたしのことが書かれていました。あの頃、「NHKFM水戸」で隔週土曜日午後3時10から6時まで、「ロック・タイム」という番組のDJをしていたアナウンサーの田中 勝美です。あの番組を始めたのは、1973年の10月からでした。そして、長野に転勤になるまでの1978年6月ぐらいまで担当していました。
 当時、いや恐らく今も、ローカルのラジオ番組は、ディレクターなどいなくて、アナウンサーのわたしが自分で選曲し、自分でコメントを考えて送出した番組でした。
 今でも、あの番組のことが書かれているなどと、とても想像していませんでしたが、3年前にアメリカにいる次女から「お父さんの「ロック・タイム」の話がでているわよ」と、電話があってページを開いたところ、「名盤この一枚」ルネッサンス「燃える灰」のレビューに、「水戸のロックタイム」の話がでておりました。
 さて、当時、番組では、「主としてブリティシュロック、特に、クリムゾン、ブラッフォード、ロキシー、ジェフ・ベック、アラン・ホールズワース、ソフト・マシーン、ゴングなど、リクエストがあれば、ハードロックもかけておりました。アメリカでは、ベルベッド・アンダーグラウンド、それからかれらの様々なバリエーション例えば、彼らとイーノ、ケヴィン・エアーズの「悪魔の申し子」など、ニコのソロアルバムなど、パブロフス・ロック、スティーりー・ダン、フランク・ザッパなど、ヨーロッパでは、アフロデス・チャイルド、ファスト、デュセルドルフ、イープ、ヴァンゲリスなどなど、かなり偏った選曲でした。水戸の視聴者よりも、東京・横浜・千葉・埼玉のリクエストが多かったようです。
 時折、電波の具合なのでしょうか、長野から便りが来たりして、聞いてくださる方の範囲は広かったようですが、視聴者の数は、それ程多くはなかったかもしれません。
 番組制作のために、上京してレコードを買ってきたり、レコード会社とかけあったり、レコードをお借りしたりと、それなりの苦労はありましたが、レコードをヘッドホーンで夜遅くまで聞いて、選曲して、2週に1回の番組を制作していました。高見さんもその当時ゲストにお迎えしたお一人です。高見さんは今でもお元気でしょうか?
 NHKを退職して、いまは、大学で講師しておりますが、「70年代のロック」という講座を持ったこともありました。etc。(これ以降の記述は個人的なことだったりするので、敢えて秘させて頂きました。)

 どうです、このお便り。あの伝説のラジオ番組のDJをなさっていた田中さんから、なんとお便りを頂いちゃいました。お嬢さんからのメイルで、このページのことをお知りになってメイルを送って頂いたみたいですね。この文章からも当時の田中さんのロックへの入れ込みようと、深い愛情が伝わってくるかのようです。田中さんはボクよりも1世代上の方のようですけど、あの時代の方って比較的熱い方が多かったかと思いますが、その中でも飛び切り熱かったのが当時の田中さんだったのかなと思ったりします。
 これは何度も書いてきたことですけど、あの当時リアルタイムに非コマーシャルな音楽を追いかけているリスナーは本当に少なかったんです。ボクの中学時代、ビートルズを聴いていたのはクラスにボクの他には3人しかいませんでした。しかしそれは多分多い方だったでしょう。さらに中身に対して突っ込んだ話が出来たのは、岩田君という仲の良かった友人だけでした。(彼はとても良い友人でしたが、いつの間にか音信が途絶えてしまって……知らぬ間に引っ越していたんですけど、今はどこで暮らしているのでしょう。)考えてみると、学生時代から多趣味だったボクは、結局全ての趣味に共通する友人を持つことができませんでした。例えば中学生時代で言っても、スポーツは途中からボーリングに絞った(何しろプロを目指してましたし、一応埼玉県と東京都の2つのボーリング場の代表として公式試合に出まくっていたため、とても他のスポーツまで手が回りませんでした)モノの写真部や科学部、漫画部に所属し、映画も見まくり、小説を読みまくり、音楽も聴きまくってましたから、その全てに対応する同級生なんかがいるわけもありません。ついでに言えば、当時は身体が大きかったこともあってケンカも負けませんでしたし……。これだけやっていたのでは学業まで手が回らなくて、その部分は、今となっては恥ずかしい話です……本来は勉強も苦手ではなかったはずなんですけどねぇ。
 その当時は「どうしてみんな、流行としてしか音楽と付き合わないもかわからない」状態でした。日本の歌謡曲では「花の中3トリオ」とかが年齢的にボクの同期と言うことになるのですけど、その頃海外ではクリムゾンやイエスやELP、ハードロックのディープパープルやツェッペリンが、ポップスでもエルトン・ジョンやポール・マッカートニー、キャロル・キング、カーリー・サイモン、スティービー・ワンダーが流行っていたりしていたのです。ボクはこの音楽の差が余りにも大きいと感じていたのに、それを感じる人はボクの年代では極少だった時代でした。その頃R&Bにははまりませんでしたけど……。
 その頃、田中さんの音楽環境はどうだったのでしょうね?お嬢さんの話によると、渋谷洋一さんまでゲストに招いたみたいだし、件の高見ひろしさんもゲスト出演されるぐらいなので、そういう音楽的な同好の士には困らなかったのでしょうか?だとすると、本当に羨ましい。今はインターネットとかもありますし、プログレ専門店もありますから困ることもないし、話し相手のいない寂しさも紛れるでしょうけど、あの頃はなかったですからねぇ。田中さんの環境も羨まし過ぎますけど、そんな音楽仲間たちと収集した情報満載のラジオ番組が当時あったなんて、その放送を聴くことができた水戸の方々も羨まし過ぎました。せめてそんなラジオ番組が各週でも聴くことができていたら、ボクの音楽人生も大きく変わっていたことでしょう。だけど、絶対破産していたに違いない!(断言!)
 東京や神奈川からもリクエストがあったらしいですけど、そういう方って絶対に専用のでっかいFMアンテナを付けていた人なんでしょうね。ボクも屋外の大型FMアンテナ、何度もつけようと考えたんですけど挫けまして……高校生になって更に多趣味に拍車が掛かったのが原因でした。(夏は友達の家の別荘に泊まり込んで遊びまくり&冬はスキーをしまくり、普段は喫茶店に入り浸り……って趣味じゃないだろ!単に遊び回ってただけじゃないか!)弟の秀五氏が本格的にプログレに目覚めたのはその頃で、結局その頃には彼と音楽を語り合うような接点はありませんでした。(だいたい、高校生の兄が、小学生の弟と音楽について語り合うっていう図が想像出来ません。)
 その頃に戻って田中さんの番組を聴くことは絶対に不可能ですけど、もしも可能でしたらその頃の体験談など聴いてみたいモノですし、それも不可能なことなら是非その頃のエピソードをその手の雑誌なりで執筆して頂けないでしょうか?それは絶対に読んでみたいです。

 そんなワケで、大変貴重なメイルをありがとう御座いました。重ねてお礼申し上げます。

お便り続きます

INDEX HOME