Dec. 28, 2002 




 今月号の冒頭にお伝えしたいことがあります。それは一通の読者のお便りからでした。まあ、まずはその(1)を読んでみて下さい。




その(1)
ヒロさんはじめまして。
川崎在住の田中と申します。

新しい音楽を聴こうとは心がけているものの、未だに中学、高校の多感な時期に慣れ親しんだ音楽を超えるものに出会えないこともあり、ふらふらっとプログレの部屋に辿り着きました。
そこで「千葉のマスオさんのおたより」を見てびっくり!NHKFM水戸のプログレばかりを流していた「FMリクエストアワー」は父と、同僚の佐野アナウンサーが交代で担当していた番組で、不思議なプログレのパートは父が隔週で担当していました。アナウンサーなんだけど、番組内容はほぼ任されていたようです。
その番組の予習というわけではありませんが、父は家に大量のレコードを持ち込んでは日々それをかけ、当時中学生、小学生だった私たち姉妹はその音を大量に浴びて育ったわけです。
「家ではブリティッシュロックだけだ!」というのが父の口癖すなわち家のルールでした。ちゃらちゃらした音楽はだめという意味なのか、スティーリー・ダンとかスタッフ、スティーブミラーバンドなど、個別に決裁を下りたものは良し、ってことになってました。例外的にベイシティローラーズは、当時の健全な女子中学生の流行の輪から娘を遠ざけない意味もあって、コンサートに行くのもOKでした。

土曜日は学校があるので、あまり私自身は聴けませんでしたが、水戸だけじゃなく関東一円のリスナーからハガキが届いたりしていたみたいで、ひたすら独断でいいと思う曲をかけまくっていたみたいです。渋谷陽一さんなどいろんな方がスタジオに訪ねていらっしゃったようですね。
最後の放送は、実は内示で別の放送局に異動することを知りつつ、リスナーの方にはそれが言えなかった事情もあって、父としてはこれが別れだという思いもあったのでしょう。
 「夏のロック祭典」とか勝手にテーマを決めてロックの名曲(自分で思っている)ばかりかけたような気がします。娘としても、「これだけは聞き逃してはならない」とその日は早く帰って家でエアチェックしたのですが、そのテープ実家にあるかなぁ。クリムゾンは特に好きだったので、確か聴いた気がします。
公共放送なのでそんなことをしていいのか……という声もあるでしょうが、いい意味でコマーシャル主義ではないNHK、しかもローカルのFMだからこそ出来たことなんでしょうね。

クリムゾン、ジェネシス、ピンクフロイド、キャメル、マンフレッド、801(フィル・マンザネラのプロジェクト)、フランクザッパ、ロキシーミュージックなどを自然に覚え、それらは身体に染み付いている感じですが、自分が本当にリアルタイムで聴く事のできたプログレは(あ、これも高校に上がったおまえにちょうどいいアルバムが出たぞ!ぐらいの乗りで父に聞かされたような気がします。)「憂国の四士」というものすごいキャッチフレーズで登場したUKです。「プログレの終焉」のように言われた時代、1枚で直ぐメンバーが交代しちゃうようなスーパーメンバーぞろいだった彼らの最初のアルバム「UK」は今聞いてもじーんとくるものがあります。(あのアルバムが出たのは東芝EMIだったので、それが心に刻まれEMIに就職したいと思ったものです。結局音楽関係とは違う世界に進んじゃったけど)アラン・ホールズワースはその後も何度か来日しているので六本木のPITに聴きに行ったりしたし、ビル・ブラッフォードもよく聴きますが、あの金髪のエディ・ジョブソンは今どうしているのでしょうか。
 アルバム「zinc」が大学生の頃に出ましたが、それっきり音沙汰なし。今どうして
いるのかもしご存知だったら教えていただけないでしょうか。

 とまあ……この通り、「NHKFM水戸のプログレばかりを流していたFMリクエストアワー」というのは「お便りのコーナー」で何度か話題になった伝説のマニアックなラジオ番組だったことは、プログレの部屋に遊びにいらした方だったらご存じだと思うのですが、なんと!その番組のDJをされていた田中アナウンサーのお嬢さんからメイルを頂いてしまいました。
 この番組、ユーロロックプレスという雑誌だったかの高見ひろし氏のコラムによると、その後ハードロックやらプログレッシブロックやらブリティッシュロック関係の評論家筋の方々が随分関わっていたらしく、件の高見ひろしさんのコラムでは「ゲスト出演でスタジオへ向かうために乗った列車が人身事故か何かでストップ、電話で途中連絡をし合いながら番組の後半に滑り込みセーフという状態で、危なく番組に穴を開けるところだった」という話が載っていたと記憶……するような当時のプログレッシャーには伝説のような番組だったのです。その時高見さんは秘蔵のアルバムを随分抱えていたらしく、結局その時は「どんな曲をかけたんだろうな?」と興味を覚えます。何しろ、高見さんの執筆される秘蔵盤のページはボクにとってはバイブルのようなもので、ボク自身がその情報からどれだけのアルバムが発掘出来たか?計り知れない程ですから、多分とんでもないアルバムを抱えていたんだろうなと幻想は膨らむばかりです。しかし田中さん(お父さん)の音楽への入れ込み度はすさましいばかりですよね。お嬢さんにクリムゾンやフロイド、ザッパを聴かせて育てるなんて並みの父親には出来ないことです。実際ボクには娘がいますけど、ドライブのお供にプログレを聴かせることは強いたりできません。結局娘が乗っていたりするとモー娘とかが室内には流れていますもんね。やはり妻と娘がジャパニーズ・ヒットポップとかを好きで、MDで持ち込んだりされたら拒否したりは出来るもんじゃありません。ボクの場合、娘との交流はもっぱらゲームソフトです。自分で作ったソフトを一緒に遊んだり、マリオサンシャインで遊んでコミュニケーションはバッチリです。(親バカだなあ。)それにしても手紙の様子からも、件の田中元アナウンサーは並みのお父さんではありません。クセの強いロックばかりを聴かせるばかりか、ほとんどヒット・ポップスを否定されたら音楽観が屈折しまくるでしょう。ボクだって10代の頃にはディスクこそ買わなかったですけど、当時のヒット・ポップスはエア・チェックで聴いてましたモンね。(あくまでもBGMでしたけど。)ギルバート・オサリバンやエルトン・ジョン、ポール・マッカートニーなんか胸に染みました。それさえ許されない家庭ってどういうもんでしょうね。だけど「お前にちょうど良いだろ」とか言われてUKとかをポンと渡してくれるお父さんには憧れます。当時のボクの父はそんなことはなかったです。ただ漫画は結構買ってくれたかな?見たい映画はほとんど連れて行ってくれた気がします。「映画は銀座で見るもんだ」とは言わなかったけれど、ほとんど銀座へ見に行きました。当時の映画館は混んでたんですよね。だから、あんまり並んでいたりすると指定席で見せてくれたりしました。映画が終わると必ず銀座や浅草のレストランで食事をして帰りました。当時は涙が出るほど高かった銀座三越のマクドナルドなんかでも、よく食事をしました。今、自分の立場になってみると「あんな贅沢をよくさせてくれたなあ」と感心するし感謝に堪えません。今の自分があるのにあの頃の経験が欠かせないと言う話は、この前の日本放送のラジオ番組でも語らせて頂いた通りです。(この部分の話ってON-AIRされたんでしょうか?)その最後の放送はボクも聴いてみたいです。どんな内容だったんだろう?だけど、それが入手出来たとしてもボクにはカセットレコーダーがないから聴くことはできないんですけど。

 いやあ、良いお便りを頂きましたでしょ。だけど、このお便りの話はこれだけでは終わりませんでした。それはその(2)を読んで頂ければわかります。

♪..♪.

 

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