まさかこんなことになるなんて・・・

高橋秀五の緊急報告続報!副鼻腔炎2 完結編

 前回の報告から数日を経て、病状の経過およびその処置に対して大きな変化が起こったため、緊急報告の続報をお届けしなければならない事態となりました。自分では前回の報告で終了の予定だったため、かなり「はしょっていた」り、まとめて簡便に伝えていた部分もあるので、今一度この事件を最初から時間を追って説明し整理し直したいと思います。(*前回の報告は1998年2月16日までのものとお考えください。)

 1998年2月13日(金)夕刻から左側頭部および左顔面に痛みが・・・。今までに経験したことのない強烈な痛み。

 2月14日(土)朝になっても痛みひかず・・。左顔面の腫れひどし。アゴの辺りまで痛いし、他に原因も分からないことから、この時点では本人は歯の痛みに違いないと思いこむ。

 AM10:30 意を決して急患で「くすみあきお歯科医院」(病院名に自分の名前をつけるとは、マツモトキヨシのようなヤツだ!)へ。親知らずを見てもらうが、診察の結果は歯の腫れなし。てこんなに左顔面に側頭部が痛くって、そのうえ歯じゃないとは・・・まあよく考えればそうだよなぁ、歯が原因なら左の目の回りに青あざができるなんておかしいよな、でもぶつけたわけでもないし・・・まさか・・・ガ、ガンか・・・? 歯医者での検査結果に打ちひしがれて家に帰り家族に「もしかするとガンかもしれない・・・。俺がいなくなっても元気で頑張るんだぞ・・。」などと弱気なことを言っていると、とりあえず精密検査を受けろと家族に言われる。しかし病院で絶望的な話をされるために長い時間待合室でボーっとしているのは癪なのでイヤだと拒絶するが、家族は許してくれず。しょうがないのでイヤイヤながら急患で南町医院へ。同日 PM03:30急患で南町医院にてCTスキャンを受け急性副鼻腔炎発覚。(この詳細は前回報告書参照のこと)

 前回の報告ではこの後の治療もこの病院で行われているように書いていたのだが、実はそうではない。急性副鼻腔炎が発覚した時点で「ここまで悪くなっていては、ウチでは治しようがない。この病気の権威がいる病院を紹介してあげるから、そこへ行きなさい。」と言われて紹介状を書いてもらい、都立大塚病院という新大塚にある病院を紹介されていたのだった。

 ところで、この「南町医院」だが名前が医院とは言ってもCTスキャンの設備はあるわ、入院施設もあるわで、大学病院よりも親切なうえ、何となく大ごとな感じがしないので気軽に行けるぶん僕にとっては便利な「病院」である。ちなみに親父が小脳出血のときに救急車で最初に運び込まれたのも、私が気胸で最初に運び込まれたのもこの南町病院である。でかい病気は南町病院から始まる・・・うーむ、なんという因縁だろうか。

 急性副鼻腔炎が発覚してから都立大塚病院で治療を受けるまでの、土曜から月曜の朝にかけて痛みは大してひかず、そのうえ南町医院で滅茶苦茶脅されたこともあり精神的にもかなり落ち込み、自分にとっては地獄の週末となっていた。2年前に40度の熱を出して、南町病院で点滴を打ってもらった時に、血液検査をしていたのだが、その結果を聞きにも行かず放ったらかしにしていた腹いせもあるらしく、南町医院の先生はその血液検査の結果を今さら見せて「この時点で調子が悪かったようだな。早い時点で精密検査をしておけば良かったのに。」とか今回の副鼻腔炎とは関係ないのに「腎臓が弱っている。今じゃもっと悪くなっているんじゃないか。」とか、「副鼻腔炎をここまで放っておいたのでは手術をするしか仕方がない。歯茎の部分から皮を剥ぐんだぞ。」などと矢継ぎ早に不吉なことを言って私のことをいたぶっていたのです。

 そして2月16日AM10:00都立大塚病院へ。約2時間待たされても呼ばれず、「いつまで待たせやがるんだ!」と言いたいのを我慢し「やっぱり大学病院は当てにならん。」という気持ちを強くしながら、さらに待つこと30分。

 「高橋さーん。高橋しょうごさーん。」と、看護婦さんが呼んだので「高橋しゅうごです。」と言い直して中に入る。(しゅうごという名前はよっぽど珍しいらしく、この手の場所で待っていると正しく呼ばれることは本当にマレで、大抵「しょうご」と呼ばれてしまう。 「細腕繁盛記」の女将の旦那じゃないんだから、ってこれ分かる人ほとんどいないんだろうなぁ。)と・・・そこには女医さんが・・・。名医だと聞いていたので、てっきり男の先生だと思っていたのだが、まさか女医さんだったとは。

 先生に症状を話し鼻を見てもらうと鼻の穴は膿だらけ、レントゲン写真もひどい状態だが悪性の腫は出来ていないので、これなら薬などで鼻の通路の通りを良くして膿を溶かしてしまえば普通は大丈夫だとのことで、「薬でちらしてみましょうよ。」ということになったのだった。

 ここで急性副鼻腔炎に関して再度説明しておくと、人間の鼻の奥には頭蓋骨でいうと鼻の穴の部分から目の後ろ側にかけて空洞部分があってそれが脳の方まで続いているんだそう。その部分に膿(のう)がつまってしまう病気を副鼻腔炎という。今回は鼻の空洞部分からあふれ出した膿がさらに眼球の後ろまでまわったため激痛を引き起こしたのだった。

 「もし、薬でちらせないとどうなるんでしょう・・・?」と聞いてみると、その場合には針が先についたチューブをブスッと鼻の奥に刺してチューッと吸い出す方法とかがあると言っていたのだが、この時は何となくウヤムヤにされてしまったのだ。このウヤムヤの裏には恐ろしいことが隠されているのだということに、すぐ気がつけば良かったのが・・・人間なかなか悪い方ばかりには考えられないもので・・・先週南町医院で脅された反動もあって女医さんのフレンドリィな対応に誤魔化されてしまっていたのだなぁ・・・。そしてこの時は結局「どの処置がいいか、まずは様子をみてみましょう。」と、薬のついた綿棒をどこまでもどこまでも・・・差し込まれ膿のついた患部周辺をきれいにするにとどまったのだった。

 この時点で書いたのが前回の報告書である。この時点で南町医院の先生の脅しが単なる脅しだったと完璧に早とちりして、大喜びで書いたというのが事の真相(自分自身にとっては事実だったからしょうがないのだが・・・)である。本人はこれで一件落着かと思っていたのだが・・・。喜び勇んで書いた報告書が、単なるぬか喜びだったとは知らず・・・話は、まだ、まだ、つづくのであった・・・。

 病院で処方された薬を一度も欠かさず規則正しく飲み続け(こんなことは自慢じゃないが、いまだかつて無かったことである。この病気に対してどこか一抹の不安があったのか?)、次の通院日である2月20日(金)に都立大塚病院へ。「どうですか、調子は?」と聞かれるが、頭痛は治らず鼻の調子も変わりないし辛いので、その旨告げる。鼻の中を調べた女医は「あらぁ、全然良くなってないみたい。」と明るく言い放つのだった・・・。

 このまま放っておいて膿が頭にまで回ってノーテンパーになっては堪らんので「先生、いっそのこと針を刺して膿をドバァーっと出しちゃうってのは、どうですかね?」と、一大決心して話すのだが、先生は「高橋さん、そんな簡単に言うけど、それって精神的にも肉体的にも結構辛いのよ。やるんだったら最初からそのつもりで来たときにやった方が良いわね。」と諭すように話すのだった。精神的にも肉体的にも辛いって・・・、とひとり悩んでいると、追い打ちをかけるように「強い薬に変えてみましょ。そして今度の月曜日(2/23)に、もう一度いらっしゃい。その時にまだ膿が抜けていないようだったらやりましょ。心の準備していらっしゃい、いいわね高橋さん。」と、言われた・・・ハハ。

 しかし、2週連続で医者に不吉なことを言われて迎えた地獄の週末パート2も、週明け(2/23)の体験のプレリュードでしかなかったとは・・・。

<運命の日 2月23日>

 2月23日AM10:00行きたくない気持ちを押し殺して都立大塚病院へ。約2時間待たされても呼ばれず、「相変わらず待たせやがる!」と言いたいのを我慢して「やっぱり大学病院は当てにならん。」という気持ちを再確認し、さらに待つこと30分。看護婦さんに呼ばれ、若干怯えながらも診療室に入る。

 女医さんに「どう?高橋さん。」と聞かれるが、病状に変化無くその旨伝える。一瞬の間があく。その間はやめてくれという気持ちが、わけの分からぬことを自分に口走らせ始める。「先生、やっぱり針刺して膿抜いた方が良いんじゃないですかねぇ。」「その方が楽になるんでしょ?」すると先生、「・・・。」 先生返事してくれぇー。

 「・・・そーねー・・・とりあえずレントゲンとってみましょ。」

な、なんだよ、さっさとやらないのか、という失意とともに安堵の気持ちが自分を取り巻き、さらに饒舌に。「ああ、そうですよね先生。まずレントゲンとってみなきゃ今の状態分かりませんもんね。ピーチクパーチク・・・。」しゃべり続ける私。

 そんなこんなでレントゲンをとった結果はブブーッ。「あら、やっぱりダメね。手術しましょ。」「はい手術・・・、って針刺すだけじゃないんですか?」先生ちょっと困った顔で「あらぁ、私ちゃんと話してなかったかしら。でも辛いのはホンの一瞬だから。」って、辛いのかよ。ビビる私。

「な、何をどうするんですか?」

「大丈夫、大丈夫。麻酔もするし。」と綿棒に麻酔をつけて鼻に差し込む先生。麻酔つき綿棒を鼻に突き刺され外で待たされること5分。さらにもう一回呼ばれて麻酔つき綿棒を取り替える。運命の5分後「さあやりましょうか、高橋さん。」

 女医さんは回りに向かって「みんな手術始めるわよ。急いで支度してぇ!」というが、なかなかみんな集まらない。すると普段は温厚な先生が「なにやってるのよ!」といつになくおかんむり。イライラされてミスられてはたまらないので、「まあまあ先生、そんなに興奮しなくても。」となだめると先生は、「あら私は別にいいんだけど、のんびりしてると麻酔が切れちゃうのよ。」「みなさーん、集まってくださーい!」と、いきなり診療兼手術用のイス(床屋さんのイスを想像して下さい)から半身になって必死に看護婦さんたちに呼びかける私。

 目の前に用意されたものは、中が空洞になっていて先が若干とがった長さ25cmぐらいの鉄製のパイプ、透明な液体約500cc、灯油を送るときに使うシュポシュポするポンプがついたゴム製のチューブ、金属製の受け皿と、いたってシンプルな構成。

 準備も整い「さあ始めるわよぉ。」って、どんなことするのかまだ全然説明受けてないんだけど・・・。ビビりまくる私。何か喋らなくては。あっ、そうだ。「先生、麻酔効いているかどうか調べなくて良いんですか?」先生笑みを浮かべながら「効いてるわよ。 さっき綿棒を取り替えたでしょ。2本目の綿棒は麻酔が効いてなきゃ耐えられないぐらい痛いところに刺したんだから。」ぐおーっ、そ、そうだったのかぁ。

「ゴキッって音がするけど、驚かないでね。」

「えっ?ゴ、ゴキッて・・・。」

「頭蓋骨を貫通させて鼻の空洞部分にこの鉄パイプの先を突っ込むの。」(ゲッ・・・)

「辛いのはその一瞬だけだから。このパイプが入っちゃえばパイプのこっち側にチューブをつけて、この洗浄液を中に送り込むのよ。そうするとね、貯まっている膿が洗浄液と一緒に出てくるの。」(ギエーッ)

「はい、それじゃこのお皿を手で持って、アゴの下に当てて。」

「えっ、これ自分で持つんですか?」

「そうよぅ、当たり前じゃない。」

鉄パイプを持って目の前で構える女医さん。

「あっ、やっぱり目をつぶった方が良いわね。」と言われ、目をつぶるかつぶらないかのその瞬間・・・「グバギッ!」・・・という音が頭の中に轟いた・・・☆×△☆×△☆

「はい、もう大丈夫よ。」

・・・ゆっくりと目を開ける・・・。鼻の部分に妙な違和感が・・・。パイプは見事に鼻の脇部分にある空洞にまで貫通したらしく、鼻の穴を無理な方向に押し広げている。

「はい、それじゃ洗うわねぇ。」チューブを鉄パイプにつなげて、そのチューブのもう一方の端を洗浄液の中に浸して「はいそれじゃ、エーって言っててくれる?」

「ぶあい(はい)。」と言ってから私は

「エ−−−−−−−−−−−−−−−。」と言い始める。

それを確かめてから女医さんは、ポンプをシュパシュパシュパシュパとものすごいスピードで押しだした。すると液もすごい勢いで送られ始めたのだ。

「エ−−−−−−−−−−−−−−−。」が

「ヴェーーーーーーーーーーーーーー。」に変わり、ドバァとねっとりした液が口じゅうからあふれ出し、それに合わせるかのように(痛さから出たわけではない)涙が一筋ツツーッと流れ出したのだった・・・。

 際限ないかと感じるほどに受け皿に膿入り洗浄液がどんどん溜まっていく。と・・・ついに洗浄液は底を尽き、この治療も終わりを告げたのだった。

 膿とともに歩んだ長い旅路はついに終わりをつげたのだった。脱力感に襲われている私。すると「気持ちよかったでしょー?」と聞く女医さん。そんなわけねェだろう。

「先生・・・聞きたいことがあるんですけど・・・。」

「あら、なにかしら?」

「鉄パイプで頭蓋骨を貫通させたわけですよね。その骨の破片はどうなったんでしょう?」

「あーら、そんな細かいこと気にしちゃダメよ。」

「・・・それから骨に穴の開いた部分はどうやって穴を埋めるんですか?」

「ああそれね。人間の体って良くできているもので、粘膜が穴の開いたところを塞いでくれるのよォ。」

「・・・。」

「まだ鼻血が出てるけど、手応えが良かったし結構頭蓋骨の薄いところにうまく行けたみたいなのよ。だから鼻血もすぐ止まるし、麻酔切れてもそんなに痛くないと思うわ。」

「・・・。」

「はい、それじゃ鼻血が止まるまで休んでいくのよ。」

1998年4月15日現在、

 何年も続いた偏頭痛はすっかりおさまりました。体調も良いようです。

 しかしそれまで吸い続けていたタバコは、手術以降一本も吸っていません。そりゃそうでしょう。粘膜で塞がるとは言われていても、頭蓋骨に穴が開いているんですよ。煙が脳味噌の方にまわるかも知れないと思ったら、怖くて吸えるもんじゃありませんぜ、旦那。