4日目・悲願の目的地――聖地ベナレス(ヴァラナシ)


アリを見事に作戦にひっかけて安心してた僕を再度襲う猛威。


事故のせいで予定の目的地につけなかったので、やむなく近場の町に

泊まる事になったのだが、その町にあった宿泊施設は廃墟のようなモーテルだけだった。

「おまえの部屋のカギだ。いけ。」と言ってアリが指差した廊下は

電気が壊れてついてなく、一筋の光も見えない完全な闇が広がっていた。

「ほぉぉ〜、これは閑静な御宅です。私生活を騒音に邪魔されたくないというこだわりが感じられますね〜」

日本語でブツブツ言いながらキーを指でくるくる回しながら歩く。

ひざが少し震えているのがわかる。

少し行くとわずかな月明かりが差し込んでいたので、それを頼りに僕の部屋の

ナンバープレートをみつけ、鍵穴を探してカギを差し込んだ。

部屋に入り電気をつけると、天井の大きなファンがまわりはじめ、

ねばっこい湿気を部屋の隅々まで行き渡らせ始めた。

「モダンなうちっぱなしのコンクリートに、ペンキをぬりたくった無骨なお部屋。いやぁ、僕はとても好きです、こういうの。」

ベッドに腰をおろすとなにか湿っている。びっくりして立ち上がり、

今度はポケットのゴミを捨てに行くと、ゴミ箱の中に使用済みのコンドームがいくつも捨ててあった。

「下町情緒とでもいいましょうか。前生活者の営みが窺い知れる人情味あふれるお部屋ですね〜。」

頬がヒクつく。

シャワールームを開けると壁にヤモリが這っている。

蛇口からは茶色い水がちょろちょろとこぼれていた。

あきらめて寝ようとすると、蚊の大群が待ってましたとばかりに飛び掛ってきた。

「さらに蚊の猛攻かよ!!寝られねえ!!!うおおおお!」

その時、ガイドブックの一節が頭に蘇った。

―――旅行の際は特に病気に気をつけたい。インド北部、東部の蚊を媒体としたマラリアに注意――


まッ マラリア!!!??


キャアアアアアアアアアアアアアアアアア

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

刺すんじゃねえええええええええええええ


気分はアウトブレイク!!一刺しの傷が命に関わる!

奥義!タオル神剣!!

無数の蚊の大群とタオル一本で戦う!


うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!


うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!


チクッ



ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

アッギャアアア!!まっマラリアがあああああああああああああああああ!!!

うぎゃああああああああああああああ!!!!死ぬぅーーー!!もう死ぬゥーーー!!

あああああああああああああああああ!!!!


半狂乱になって騒ぎながら、朝を迎えた。


早朝、憔悴しきった僕はモーテルの前の塀の上に腰掛け、現地タバコをくゆらせて通りの車を眺めていた。

ふとみるとウデに蚊がとまっている。昨日は半狂乱になって騒いだが、結局一晩で20箇所近く刺されて

しまったので、もうなんとも思わなくなっていた。

バシッ!

蚊を叩き潰してタバコの灰を落とす。

「あー、かいぃ、、、」

ボリボリとウデを掻く。

一晩で青年は戦士の顔になっていた。



「おーい!ジャパニ!そろそろ出発す、、、おまえ、大丈夫か?」

さすがのアリも一晩で形相の変わり果てた僕を見て心配してきた。

「あぁ、大丈夫さ。行こうか。」

ギョロっとアリを見て、ニカッと笑って見せた。

アリが絶句してる。

そりゃそうだ、朝自分の顔を鏡で見て僕自身もギョッとしたくらいだ。

僕は旅行中はヒゲをそのままにする。ヒゲなどいつそれるかわからないし、

荷物が増えるのがイヤだからだ。ふと、車に乗るときにサイドミラーを覗き込む。

髪もバサバサ、ひげも伸び放題、頬はコケて目のギラギラしたヤク中みたいな男が鏡の中から僕を見ていた。


車は東へ東へ、と、ひた走る。

途中、道路がまわりより一段高くなっているところを通過するときに、

左手のガケ下からずっと向こうまで一面レンガ作りの集落が続いているのが見えた。

あちこちから炊事の煙がたちのぼる、褐色の巨大な集落。

「アリ、見ろよ、赤い町って感じだね」と、指差して見せると、

アリは怪訝そうな顔で、見るのもイヤと言ったように目をそらした。


あぁ、これがひょっとしてカーストの最下層、「不可触民」というヤツなのか…

人間として扱われず、交わる事も許されない、「触れるべからず」の民。

しげしげと見ていると、建物の間を薄汚れた布キレをまとった老人がナベに何かをいれて運んでいた。

テレビや冷蔵庫、クーラーまで備え付けた家がある一方で、ここだけ数百年、流れから取り残されたようだ。

おしゃべりなアリが、珍しく黙って前を見ていた。






日も傾いた頃、突然人通りが増え、町並みに活気が表れ始めた。

「ついたぞ、この辺からヴァラナシだ。」


ヴァラナシ…日本人にはこう言った方が通りがいいとおもう。

―――聖地・ベナレス―――

ガンジス川が流れ、宗教施設が立ち並び、ヒンドゥー教徒が一生のうちに一度は訪れたいと考える、ヒンドゥー教最大の聖地のひとつだ。

かつてチョモランマがエベレストと呼ばれてたように、地図表記も変わってしまってるので

いずれベナレスという名前も消えていくのだろう。

あちこちに露店が現れ始めた。ヒンドゥーの神様の手彫りの像、カレンダーやポスター、献花の花の首飾りを売る店もある。

歩く人もしたたかな物売りからはるか遠方からたどり着いたアカ抜けない巡礼者、物見遊山の外国人観光客と様々だ。

たくさんの「野良牛」や野良犬、猿などが道端のゴミをあさっている。

首都のデリーやタージマハルのあるアーグラー等とは雰囲気がまるで別物だ。

あちこちのタマネギを逆さにくっつけたような屋根の建物から日本の雅楽をおもわせるような鐘の音がする。

ウワサのガンジス川はどこだろうと、あちこちを見回していると、今日の宿についた。

4階建ての立派な(と、言ってもやはりボロいのだけど)、建物だ。

「荷物を置いたらまた降りて来い。ガンガー(ガンジス川の事)、さっそく見に行くだろ?」

アリは自分のとっておきの宝物を見せる子供のような顔をして言う。

やはり、チンピラといえど、ヒンドゥーの民なのだろう。

荷物を置いて降りてくると、三輪バイクのタクシー、オートリキシャが待っていた。

「ジャパニ、こいつは道に詳しいから、乗ってけ。ガンガーを船からみるのはいいもんだぞ。」

と、アリ。

「ハロー、ジャパニ。」オートリキシャの運転手が笑顔を見せる。

オートリキシャに乗り込み、アリに手を振ってからこの現地タクシードライバーと話をしてると、

一冊のボロボロの手帳を見せてきた。

彼が言うには今まで乗せた日本人の旅行者に色々書いてもらったらしい。

見ると、日本語で「○○さんはサイコーのドライバーです!」だとか「××へ行った時ずっと待っててくれました」

だとかたくさんの旅行者の賛辞が並べてあった。日本から送られてきた写真つきの手紙もある。

なんと、こういう人もいるのか、、、とちょっと安心した。

そうしてるうちにオートリキシャが止まった。

「ここからは、歩き。リキシャ、入れないヨ。ボート乗り場、こっち。ついてきて。」

言われるままに建物の間の小道を進むと、突然視界が開けた。

夕日に照らされた大きな川があった。

ついにたどり着いた。ガンジス川だ。


川べりに作られた階段状のガート(沐浴場)にたくさんの人が集まり、祈りをささげながら川に潜ったり、水を体にかけたりしてる。

ガートとガートの間には露店がぎっしり詰まっていて、物売りの呼び込みが聞こえる。

あちこちに立ち上ってる煙は、火葬場だろうか。

今は雨季の直後なので、ガンジス川は増水して水が茶色く濁っていたが、水面が夕日に照らされて乱反射して、とても綺麗だ。

きょろきょろしながらオレンジ色に染まったガートを運転手の後について歩いていくと、

ボート乗り場があった。年端もいかない子供達が木造の古い小船に客を乗せるべく、せかせかと働いている。

「ジャパニ、俺のトモダチのボートこぎだ。ベリー安い。乗ってけ。」運転手が言うと、

その子供の中から年長の少年が目で挨拶してきた。

こんなすごい景色を、川のボートの上から見れたら、きっと感動的に違いない。

というか、もう感激しまくってて、半分自分の世界に浸ってた。 うーん、乗りたい!

「OK、乗るよ。」と答えると、

運転手とボートこぎはニカッと笑って、あとは頼んだぞ、というふうに二人で握手をした。


・・・・?

はて、この雰囲気はどこかで見たことあるな。

たしかあれは・・・・

急に現実に引き戻されて、聞いてみた。

「ところで、ボートの乗り代はいくら?」


「オー、ジャパニ、お前はいいやつだから、1000ルピーにまけとくぜ!」

ボートこぎがニカッとわらってウィンクした。





やっぱボッタクリと戦う事になるのね!!!!!

思い出した、さっき感じたあの雰囲気は、空港から悪徳ホテルに連れ込まれた時、運転手とマネージャーが、

そして悪徳マネージャーが悪徳旅行会社に僕を引き渡す時の、狩人達が笑顔で獲物を分け合う、その雰囲気だ!!!


かかってきやがれボッタクリどもが!!!


ラウーーーンドワン!!!ファィッ!!!!!!

ゴングが鳴り響く!!!

馬鹿野郎、僕だって散々ボッタクリと戦ってきたんだ、適正価格まで下げてやらぁ!!!

サムライ、なめんじゃねぇぞ!!ゴラアアアア!!!!






10分後、僕は適正価格30ルピーのボートに、500ルピーもの大金を払ってお客様として鎮座していた。

「おっかあ、おいら、もうボッタクリと戦うの、疲れたよ、、、」

放心状態の僕をみて、小学生ぐらいの下っ端ボート漕ぎが話し掛けてきた。

「外国人でもわかるのか、ガンガー、すげぇだろ?」

「あぁ、すごいね、ほんと参りました・・・」

ひとすじの涙が頬をつたって消えた。


夕日も沈み、あたりが暗くなってきたので、宿に帰ることにした。が、

ボートが元のところへ戻ってくると、さっきのオートリキシャの運転手がいない。

しかたないのでフラフラの体をひきずって通りまで出て、人力車やオートリキシャが集まっているところを

探して宿の名前を言って、料金交渉にでた。

「なに?そこはちょっと遠いから45ルピーよこせ。なら行ってやる。」

「ふざけるな、さっきはここまで30ルピーで来たんだ。値段を下げろ!」

「馬鹿野郎、俺は行って戻らないといけないんだから2倍請求が妥当だ。」

「そうだそうだ!」と、ヤジ。

「あほぬかせ、さっきのやつだってそれは同じだろ、ボッタクリめ!」

戦いが長引くにつれ、ヤジが集まってきた。

その騒ぎを聞きつけて濃いクリーム色の制服にベレー帽、手には自動小銃の警官がやってきた。

「おいこら、貴様ら、何を騒いでる!」

「あっおまわりさん、こいつらがボッタクるんですよ、なんとかしてください。」

「何?いくらで料金交渉してたんだ、言ってみろ、ふむふむ、、、」

ヒゲのふとっちょ警官とリキシャのドライバーがヒソヒソ話してる。

「なるほど、双方の言い分はわかった。そこは60ルピーが妥当だと、本官は思う。」


・・・・・・・・・。


警官が一枚かんだら、余計に値上がりしやがった!!!!!

このヤロー、さっきのヒソヒソで少し上前ハネる気になりやがったな!!

「やってられん!!!!俺は歩いて帰る!!!」

もちろん、異国の地のどこだかもわからん場所で歩いて帰れるわけがない。

だから、ただのポーズなのだけど、とにかく警官から離れなければならないと思ったのだ。

と、さっきのヤジの中から手が飛び出してきて、僕の腕をつかんだ。

「わかったジャパニ!俺は40でいくよ!」

憔悴しきってた僕は、この申し出を受けた。

ちなみに、最初のほうでも書いたが、1ルピーというのは日本円で3円である。

さっきのやりとりは20円30円をかけて言い争っていたのであった。


宿に帰ってきた僕は、入り口でアリと挨拶を交わしてから部屋に帰ると早速旅行書を広げた。

明日、アリから逃げたら、ヴァラナシから首都デリーへ帰る際の夜行列車のチケットを取っておかねばならない。

外国で列車のチケットを取るのは初めてだったので、ノウハウを調べなければならなかった。

くり返し読んだ旅行書を、今度は知識としてではなく、手順の確認として読み直す。

たしか外国人がチケットを取りやすいように便宜を図って「外国人専用窓口」というものが別にあり、

そこでならスムーズな応対でチケットが取れる、という内容だったはずだ。

それがこのヴァラナシの駅にもあったはず・・・問題の箇所を指でなぞる。

と、何気なく読み飛ばしていた一行を発見して僕は凍りついた。

――――外国人専用窓口では、米ドル使用が基本。インドルピーで購入の際には、「バンクレシート」が必要だ―――

バンクレシート・・・空港などの両替所で現地通貨に両替した時に、紙幣と一緒に一枚のうすっぺらい紙を渡される。

これが「バンクレシート」、両替の証明書である。コンビニなどで普段もらうようなレシートの感覚で受け取って

しまいがちだが、これが重要書類だったりする事がある。大きな先進国だと必要なかったりするのだが、

日本に帰るときにまたドルや円に両替しなおす時にこれがないと受け付けてくれない国がある。

僕は空港で両替した時のものはついたいしたものじゃないと勘違いして捨ててしまい、

あとはチンピラホテルのマネージャーなどに進められて街中の両替所で替えてしまっていたので、

手元には一枚もバンクレシートがなく、さらに残り少ないドルも、町では使えないのですべてルピーにしてしまっていた。

外国人専用窓口が使えない―――――?

何度かインドの駅を通りかかったときにチケット売り場を見たことがある。

地元の人が押し合いへしあい、小さな窓口に怒号を飛ばしてチケットを買っていた。

あの中に混じって、ちゃんと行き先の正しいチケット、それもややこしい長距離の列車のチケットを、買えるのだろうか。

もし、間違えたら、現金もほとんどない状態で、見知らぬ異国の地に放り出される事になる。


通りの喧騒がわずかに聞こえる薄暗い部屋に、僕のつばを飲む音が気味悪く響いた。


五日目へ続く








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