地平線が見えそうな広大な草原。

ぬかるみを利用した水田が所々に見える。

遠くの大きな木の木陰で子供らしきシルエットがふたつ、はしゃいでいる。

空はどこまでも広く、たくさんの入道雲が互いにその巨大さを競い合っていた。

と、

素晴らしい景色に見とれていると、急に僕の下腹部からイヤの音が聞こえた。

「ぐるぐるぐる」

うぅっ、また来た。下痢だ。

この美しい大平原の片隅で僕は昨日からますます酷くなる下痢と格闘していた。

「おい日本人!野グソはまだ終らんのか!?」

国道のほうからドライバーの声が聞こえた。

「もうちょっっっと待てえぇェエェオォゥオオおおおおおお」

おおおおおおおおお

下痢で朦朧とする頭に聞き慣れた音楽がこだまする。

みんなが笑ってる〜〜♪

おひさまが笑ってる〜〜♪

る〜〜るるるるっる〜〜〜♪

きょ〜も酷い下痢〜〜〜♪



インド滞在二日目

ボッタクリ旅行会社のボスが「明日の朝の10時にお前のホテルに迎えをよこすから」と

言っていたので、僕は朝の9時に起きて身支度を整えた。

改めて自分の泊まった部屋を見回す。

赤いカーペットの敷いてある結構キレイな部屋である。しかしよくみると

換気扇が故障とかいう次元を通り越して、もげて壁の穴から電気のコードでぶらさがっていた。

換気扇のあったところから外が見える。いい天気だ。

小さなエレベータで一階まで降り、カウンターを見ると、見知らぬ男が帳簿をつけていた。

昨日ホテルのマネージャに宿泊費を前払いして領収書を書かせたから、このままチェックアウトして

出て行けば良いはずだが…マネージャから話が行ってないと

「そんな話は聞いていない。カネよこせ」と来そうな予感がした。

…そうだ、そうしたらマネージャに書かせた領収書を見せればいいじゃないか。当たり前じゃないか。

たしかここに… 僕はもらった領収書を取り出し、改めて広げてみた。

「支払済み J.B」とだけクシャクシャのメモ帳の切れ端にペンで殴り書きしてあった。



すごいテキトーだ!!これを材料にカウンターの男とやりあうのは危険すぎる!

僕はツカツカとカウンターに歩み寄り、「おまえらのボスはどこへいった?!ボスを出せ!!」

と、わめき立てた。「マネージャーならそこで寝てるよ」と言われて振り返ると、

エントランスのソファーにマネージャーがぶっ倒れてイビキをかいていた。

ホテルに入っていきなり支配人の醜態を見れるとは、オツなホテルですな。

ごすごす突付いて起こし、半寝ボケのマネージャーの顔に領収書をぐりぐりと押し付けて

「いいか?俺はチェックアウトするからな?これで全て終りだ。問題ないな?」と念には念を押して確認していると、

ホテルの入り口にクルマが止まり、ボッタクリ旅行会社の迎えが顔を覗かせた。

「おい日本人!車に乗れ」

わっはははは!これでこの恐ろしいホテルからもオサラバだぜ!!ヒャッホイ!!

待ってましたとばかりにホテルから飛び出し、車に乗り込み僕はマネージャーに手を振った。

ふーやれやれ、と車の中で安堵の息を漏らし、ようやく人心地がつけた。

思えば、昨日はたった一日なのに、色んな事がありすぎて3日くらいに感じられた。

あのボッタクリ筆頭みたいなマネージャーも、ホテルから出てしまえばいい思い出だ。

昨日の出来事をひとつひとつ思い出しながら窓を流れるデリーの風景をながめていると、

クルマはボッタクリ旅行会社の事務室のある建物の前に着いた。昨日書類にサインさせられた所である。

昨日の記憶が鮮明に蘇ってきたが、僕の心は穏やかだった。

なにせ高額で不当な金額を払わされたとはいえ、カネを払ってしまえばあとはただのツアー客に

なっていればいいだけで、旅行会社の連中とやりあう必要はない。

思うに、こういった人たちは「金持ちからはより多くとる」という習慣があるだけで、

それ以外は結構普通のひとのようだ。

と、思っていたのが甘かった。

「ジャパニ、(インド人は日本人をこう呼ぶ)今回のお前の旅をガイドする運転手のアリだ。」

と、旅行会社のボスが一人のチョビヒゲの男を連れてきた。

よくテレビでイランとかイラクの映像が流れた時に映る、口ひげのある肌の浅黒い男、そのままの顔立ち。

「よろしく、アリ。」

「よろしく、ジャパニ。」

僕はついおじぎをしそうになるのを堪えながら、にこやかにアリと握手を交わした。

この後、3日間に渡り激闘を目の前の男と繰り広げる事になる事も知らずに。


チンピラドライバー・アリ


僕の乗る車は首都デリーから東へ約700Km、聖地ベナレス(バラナシ)へ向っていたが、

昨晩から続く下痢で度々車を止めては僕は路肩で野糞に励んでいた。

広大な平原での脱糞を満喫して車に戻るとキーを回しながらアリが言った。

「今日はこの分なら2時過ぎには噂に名高いタージマハルのあるアーグラーという町に着く。

そこでタージマハルを見て、今日はアーグラーに泊まろう。」

「おおタージマハルか。いいねぇ・・・・」と言いかけてふとアリが手にもっている物に気が付いた。

何か茶色いビンに入った飲み物をラッパ飲みしている。

「アリ、それはなんだい?」

「あぁ、ビールさ。」

ふぅん真昼間からビールねぇ・・・気ままなもんだ。

窓の外を景色が流れる。


・・・・・?

まてよ、という事は飲酒運転じゃないのか??

「おいコラ、運転中に飲むな!!危ないだろうが!!」

「大丈夫だ、ビールは飲んだうちに入らない。ウィスキーを飲んだらきっと危ない。」

HAHAHAと笑いながらアリがこっちを向いて言う。いや、前見ろ前!!

スピードメーターがぐんぐん回りだした。アリがカセットテープを取り出し音楽を

かけ始め、大声で歌い始めた。上機嫌である。ていうか隣に座っているのはお前の客だ!!

「オ〜〜〜♪愛しのハニ〜〜〜〜♪」ジャンジャカジャンジャカジャカジャカ♪

ビュボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ

窓から入る風が車内で荒れ狂い、落ちていた新聞紙が飛び回る。バサバサうるさい。

「危ない!コラ!!飲むのやめろ!アクセル踏むな!!」

ビュボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボ

ガンッ!!痛い!車がアスファルトの壊れたところに乗り上げたようだ。

「マイハニ〜〜〜〜♪今行くよ〜〜〜〜♪」ぐびぐびぐびゲプゥ。もう飲むんじゃねぇ!!!

ジャンジャカジャンジャカジャカジャカ♪あーうるさい!!バサバサバサバサビュボボボボボボボボボボ

ビュボボボボボボガンッ痛ッおいコラ!ボボボボバサスピードを緩めバサバサバサボボビュボボボボボボボボボボ

ボボボボボ俺は客バサバサバサバサマイハニ〜〜〜♪ぐびぐびバサバサとりあえずバサガンッゴンッ痛いッ!ジャンジャカ♪

ビュボボボボジャンジャカ聞いてんジャカジャカ♪ジャンジャカお前ぐびぐびジャンジャカジャカジャカ♪

インドの風が僕の絶叫をかき消し、車は今日の目的地アーグラーへと進む。


インドの国道には所々に出っ張りが出ている。

日本の道路にもスピードが出すぎて危険な所にはデコボコがあえて作ってあって、

安全の為に速度が落ちるようになっている。

インドは国土が広いため、スピードを出しすぎてそのまま町に突っ込み、人をはねるという

事故が絶えないらしくあちこちにこの出っ張りが作ってある。

だがその出っ張りがハンパじゃない。地面に人間が寝そべっているぐらいの大きさがあり、

そろりそろり進んでガッタンガッタンやりながら進まないと越せないくらいだ。

逆にこのでっぱりに減速せずに突っ込んで車がひっくり返る事故が多いらしい。

僕らの車はそのでっぱりを越し、ゆっくりと道路わきの店の前に止まった。

「ここは政府公認のみやげ物屋だ。買い物をしていけ。」

「みやげ?荷物になるから今は買いたくないんだけど・・・」

「ノー、この店、私の兄弟の店。とても安心。タダで演奏も聞ける。」

また「私の兄弟の店」か。彼らの「兄弟」という言葉をそのまま信じていたら、

インド人は皆、一匹の巨大女王アリみたいのから生まれてきたという説を考えねばなるまい。

せかされて車から降りて店に入ると、たしかにキレイな店だ。珍しく冷房も効いている。

「ハロージャパニ。いらっしゃいませ。どれもとても安い。リーズナブル。」

店長が出迎えてくれて、先導されて売り場に行く。インドの神様の石像や木像が所狭しとならんでいる。

ひとつ、小さ目の木像を持ち上げると、ウラに値段のシールが貼ってあるのに気が付いた。

「30ルピー」と書いてある。これくらいなら、ドライバーの顔を立てて買っていってもいいか・・・

と、店主に「これいくら?」と聞いてみた。

店主は観光客向けの笑顔をつくって礼節ただしく綺麗な英語で答えた。

「1000ルピーでございます、ミスター。」


またボッタクリか!どうなってるんだ!観光客には

1000ルピーだとか兄弟だとか言えとかいうマニュアルでも配られてるのか??

大変だ大佐!聞こえるか大佐!罠にかけられた!

そこはボッタクリの巣窟だ。退路を断たれぬうちに脱出しろ。繰り返す、すみやかに脱出しろ。

了解した大佐、最短ルートで脱出する!

ペンタゴンからの電波を受信した僕は指示に従って全力で駆け出し、

店の正面入り口の扉から外界へ前傾姿勢でダイブし、見事脱出を遂げた。

あぶなかった。脱出が遅れていたら、昨日のような鉄壁の布陣をしかれていたに違いない。

インドではこのように一瞬の判断が生死を分けるのである。


すました顔で車の助手席に乗り込み、景色を眺めていると、ドライバーがすごい剣幕で戻ってきた。

「どうしたジャパニ!ここは安心の店と言っただろ?何か買っていけ!」

さすがに何も買わないと紹介料が貰えないのだろう、必死さが伝わってきた。

うーむむむ、困ったな、30ルピーのものを1000などという店では、どう値切っても

500がいいところだろう。そんな店でわざわざ全力投球で欲しくもないものを買うのは面倒だ。

だから出てきた、と言いたいところだけど、あいにくそれを説明できる英語力はない。

というわけで黙って座って「はやいとこ車出してくれないかなぁ」と考えてると、

アリは運転席に黙って乗り込んだ。ふと見ると、こちらを物凄い形相で見てる。

しかもなにか「チッチッチッ」と舌打ちしながら睨んでる。

客が帰った後「クソが!」と悪態をつくとか、笑顔でキツい皮肉を言うとかそういうレベルではない。

超メンチ切ってる。もう至近距離20センチからガン飛ばしまくりである。視線を一瞬足りともそらさない。

やっべ!!スッゲこええ!!!!!どうなってんだこの国は!!!!??

運転手が客にメンチきりまくるのが日常なのか!!?マジ日本に帰りたい!!!!!


その時ピーンときました。

あっわかった!!こいつ運転手とかじゃなくてタダのチンピラだ!!

ようやく気づきました平和ボケ日本人の馬鹿も・・・じゃなかった、若者。

本人は優雅に運転手つきの車で観光気分でしたが、

実際は隣に猛獣の座った小さなオリの中に入れられて、いつペロッといっちゃおうか、

どうやって食べようか、興奮気味に舌なめずりしながらチラチラこちらを見てくる、

そんな状況なのでした。









マジ日本に帰りたい!!!!!





〜青い空と白い雲と罠に仕掛けたエサ〜に続く)

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